第7章 喜びは一瞬だけだった

金曜の午後、中華街の歩道に自転車を停めたとき、スマホが震えた。
画面にはオーちゃんからのLINE。

妊娠しているかもしれない。2回やって、どっちも陽性だった。

その文字を見た瞬間、心臓が一度だけ大きく跳ね、そのあとスーッと血が引くような静けさに包まれた。
崩れ落ちたのは不安や現実感ではなく、それまでの自分だった。

「オーちゃん…マジか…」

思わず笑いがこみ上げた。ふざけているわけじゃない。
ただ、胸の奥のどこかが“やった”と叫んでいた。

その夜、俺は初めて「俺の人生が始まった」と思った。

翌日、ブライアントパークへ向かった。
ミッドタウンの高層ビルに囲まれた芝生広場は、初夏の陽光で鮮やかな緑を放っていた。
木陰ではカップルが読書をし、ベンチでは老人がチェスを指し、広場中央では観光客が季節外れのホットチョコレートを食べながら記念写真を撮っている。
芝生の上を通り抜ける風は少しだけ涼しく、都会の真ん中とは思えない穏やかさだった。

広場の西側にある紀伊國屋書店に入り、静かな日本語フロアへ向かう。
空調の冷気が肌に触れ、紙の匂いとインクの香りが混ざる。
育児関連の棚から『赤ちゃんの名づけ事典』を手に取った。
ページをめくれば、男の子・女の子の名前、漢字の意味、画数、そして「海外でも通じやすい名前特集」。

「風翔(ふうと)…アメリカでもいけそうだな」

誰に聞かせるでもなく呟きながら、レジに並んだ。
その姿をスマホで自撮り。YouTube用だ。

動画のタイトルはこう決めた。

【ご報告】今日、大事な本を買いました📚

動画内ではあえて多くを語らず、ブライアントパークの風景と本の表紙だけを映す。
最後にモノクロの静止画と「Daddy soon…?」の文字。
演出だった。でも、それが楽しかった。

本屋を出たあと、42丁目近くのおもちゃ屋にも寄った。
カラフルなショーウィンドウには木製の積み木やミニカー、ぬいぐるみ。
棚にはガラガラ、絵本、ベビーカーの展示も並び、子ども連れの家族が店内を回っていた。

まだ何も決まっていないのに、「これ、いるかな?」「ベビーカーっていくらだ?」と妄想が止まらない。

夜になると、子育てブログを読み漁った。
「0歳児との向き合い方」「妊娠初期の夫の役割」「パパの心得」──検索履歴はすっかり『父親予備軍』になっていた。

数日後、自宅の薄暗い部屋で動画を撮った。
段ボールにマジックで「父になります」と書き、胸の前に持つ。
カメラに向かって話しかけ、胸の前にあるメッセージには何も触れず、たんたんと今日の出来事を語った。

「今日は、UBERでチップもらったんだよね。」「でもチップって俺は払いたくないんだよね。」
「ゲームの実況って需要ある?俺もやってみよっかな?」

そして、最後に「オーちゃんが妊娠しました」

顔は少し照れて笑っていた。
涙は出なかったが、感情を『演じる』ことに成功した気がした。

アップするとフォロワーは60人から92人に増え、コメントもついた。
「おめでとうございます!」
「NYでパパかっこいい!」
「お幸せに!」

通知音が鳴るたび、指先が小さく震えた。
俺はその震えを「必要とされている証拠」だと信じた。

「俺、ずっとパパになりたかったんだよね」
ある夜、そう言ったとき、オーちゃんは何も答えなかった。
でも俺はその沈黙を「感動している」と都合よく解釈した。

実際は無職で、収入は雨の日に頑張るUber配達だけ。
家賃は親からの仕送り。
「子どもができたから正社員になろう」なんて考えは浮かばなかった。
「まあ、Uberで何とかなるだろう」─根拠はなかったが、未来は明るいと信じた。日本円に換算すると、それなりの金額をもらえているといった優越感もあったかもしれない。

あの日のブライアントパークの風は柔らかく、心地よい日差しの下、新緑の芝生の上を子どもが走っていた。
ベンチには年配の夫婦が並んで座り、ゆっくりと日が傾いていく。

「これだよ、俺が求めていたのは。」

俺もそうなれるかもしれない。
そのときは、本気でそう思っていた。

(続きはこちら)第8章:誰にも見られていない