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プロローグ:駐在前夜

「海外の駐在って、華やかに見えるけど、現実は違うよ」

大学時代のサークル仲間がふいに言ったこの言葉を、今でも思い出す。
彼は専門商社を経て今はIT企業の海外事業部に籍を置き、シンガポールを拠点にサンフランシスコや香港を飛び回っている。Zoom越しに映る背景は、まるで雑誌に載っていそうなホテルラウンジ。Tシャツにジーパン姿。表情は明るく、声も張っていた。

「試されるのはね、案外、自分じゃなくて家族なんだよ。孤独と戦うのは赴任者より残された側かもしれない」

そんなふうに言われたとき、私は「そうなんだ」と曖昧に相槌を打ちながらも、どこか別世界の話だと受け止めていた。同時に強い劣等感と口には出せない憧れの気持ちが芽生えてきたのを感じた。それから2年。今、その言葉の意味が、じわじわと現実味を帯びて私の胸に刺さってきている。

『あなたなら、この道を選ぶだろうか?』

私は近藤俊介、32歳。

製紙業が盛んで、自然が多い静岡県富士宮市で生まれ育った私は、地元の公立高校を卒業し、東京の青山学院大学へと進学した。生まれ育った町は富士山の麓に位置し、B級グルメで有名な富士宮やきそばが有名である。

中学時代も高校時代も自転車で学校に通い、都会へのぼんやりとした憧れはあったが、競争もほとんどない環境で、他の世界も全く知らず、特に不満もなく学生時代を過ごしてきた。もう少しチャレンジすれば慶応大学や早稲田大学にいけたかもしれないが、浪人はできない家庭環境だったので、確実に受かる青山学院大学を選んだだけだった。


高校では「上位3割」、大学では「平均的な学生」。秀才ではなかったが、ひどく落ちこぼれたこともない、そんな“そこそこ”の人生だった。

大学卒業後に入社したのは、国内の大手都市銀行だった。昔はエリート層しか行かないような会社であったが、今は人気もあまりなく、青山学院大学でも比較的簡単にはいれることから、なんとなく入行しただけであった。ただ、総合商社や外資企業に行く一握りの帰国子女に対しては、自分の会社に劣等感を感じ、少し恥ずかしかった記憶がある。
都内の支店を2店舗ほど経験した後、現在は本店にある法人融資部で働いている。 担当しているのは、日本の家電メーカーを中心とした融資案件。書類の確認、稟議作成、与信判断、内部調整等ルーティンで処理される業務が大半だ。毎朝7時半にはデスクに着き、夜は21時を過ぎてようやく帰宅。 決して面白味のある仕事とは言えないが、手を抜いたことはない。派手さはなくても、社会を動かす資金の裏に自分がいる。その事実だけが、私の支えだった。

ただ、それだけでは満たされない気持ちもあった。春になると、恒例のように送別会が開かれる。 同期や先輩が次々と海外赴任に選ばれていく。その中には、大学時代から頭の切れる、キラキラしたやつらが多かった。

「俊介もそのうち来るよ」 「英語得意だっけ?」 「アメリカとか似合うかもよ?」

口では応援してくれる。でも私は知っている。彼らは海外大学卒や帰国子女で、TOEIC900点超えも当たり前の連中だ。

私は、違う。海外経験もなければ、語学も苦手。成績も、地味。自分でも分かっている。
そう、スタート地点からして違っているんだ。それでも、私は諦めなかった。諦めたくなかった。

毎晩、夜21時を過ぎて帰宅し、夕食を済ませたあと、 日付が変わるころから書斎にこもる。英語の教材、証券アナリストのテキスト、英文契約書の写し。机の上には常に何冊もの参考書とノートが開かれている。TOEIC対策も、YouTubeでの英会話も、ポッドキャストのビジネス英語も、全部試した。 週末も、自宅の机に向かってひたすら問題を解いていた。

銀行業務検定も、社内資格も、全部取った。 けれど、それだけじゃ足りないことも知っている。 評価されないことにも、もう慣れてしまっている。

もしかしたら私は、“他人に勝ちたい”のではなく、“自分の劣等感を殺したい”だけなのかもしれない。

「俊介、また今日も遅かったね」

書斎の扉が開き、妻の日奈子が顔をのぞかせる。大学時代の同級生で、5年前に結婚した。

明るくて優しい性格だが、不安を抱えると急に沈み込むところもある。今は、さくらを産んだあと一度退職した証券会社に再雇用枠で戻り、営業職として復職している。

「さくら、明日英語の発表会だって。ちょっと緊張してた」

 「へえ、そうなんだ。がんばれって伝えといて」

 「あなたも、頑張ってるの知ってるよ」

 「……え?」

 「私は、見てるから。あなたのこと、ずっと」

そう言って、そっとお揃いの紅茶のカップを机に置いて出ていく。その背中を見送ったとき、胸がじんとした。こんなふうに静かに支えてくれる人に、私はちゃんと報いたいと思った。

さくらは4歳。一人っ子らしく、慎重で、いつも大人の顔色を伺っているようなところがある。 ある晩、寝かしつけの最中にぽつりと言った。

「パパ、アメリカってこわい?」

「うーん、怖くないよ。でも初めて行くとちょっとドキドキするかもね」

「さくら、パパとママといっしょなら、こわくないよ」

ああ、この子は小さい体で、ちゃんと私たちの不安を感じ取っているんだ。この子の前で、弱音なんて吐けるはずがない。 だから私は、今日もまた、机に向かう。

駐在には、もともと興味がなかった。 海外なんて、年に一度旅行に行ければ十分だと思っていた。でも、先に行った同期たちは出世している。帰国後、すぐに本部課長に抜擢された者もいる。 それだけじゃない。外資系金融に転職し、年収を倍にした人もいる。銀行にいれば、一生安泰なのかもしれない。けれど、銀行の“中”にいる限り、相対的な自分の価値が突きつけられる。その恐怖を、私は知ってしまった。だから、私は挑戦したいと思った。それは、憧れでも夢でもなく、「自分を許すための道」だった。

秋の風が、大手町のビルの隙間を通り抜けていく。

週末、近所の公園を歩いていたら、さくらが小さなつくしを見つけて嬉しそうに言った。

「パパ、もうすぐサンタさんがくるね」

「ああ、そうだね」

サンタクロースさんからのプレゼントは子供だけではなく自分にも近づいている気がしていた。まだ辞令は出ていない。でも私は感じていた。その夜がやってくるまで、あと少しだった。

(続きはこちら)第一章:出発の日