はじめまして。
YouTube見てます。なんか…すごく、共感しました。
応援してます。
あのDMが届いたとき、心の中で小さくガッツポーズをした。
共感、応援、見てます…どれも、これまでの俺の人生に出てきたことのない言葉だ。
アカウント名は @shioriszk。鍵付きで、フォロワー数は少ない。投稿も数枚の写真だけ。
プロフィールには「NY在住/30代/しがない日々」とだけあった。
「NY生活、正直しんどいですよね笑 どこに住んでるんですか?」と送ると、数分後に既読がついた。
マンハッタンのブルックリン寄りの方にいます。
中華街の近くですか?
動画に映ってた道、なんとなく見覚えありました。
そこからやりとりはゆっくり続き、5日後、SOHOのカフェで会うことになった。
詩織は、想像していたよりもずっと『ちゃんとした』人だった。
待ち合わせ場所の春先のSOHOは、まだ肌寒い風がビルの谷間を抜け、石畳のブロックに影を落としていた。
カフェ「ラファイエット・グランド・カフェ」の前に立っていた彼女は、黒いロングスカートに白いシャツというシンプルな服装。華やかさではなく、落ち着いた清潔感があった。大音量の暗闇の中でしか女性と話してない謙一にとって、初めての感覚だった。
「こんにちは」
「…こんにちは」
ぎこちないけれど、悪くない。俺は余計に笑いすぎないよう気をつけて、向かいの椅子に腰を下ろした。
会話はほとんど俺が話していた。明らかに興奮していた。
YouTubeのこと、Uber配達のこと、ルームシェアの狭さ、湿気、ランドリーが遠いこと…。取り留めもない話ばかりだが、詩織は黙らずに相槌を打ち、きちんと聞いてくれた。
「詩織さんは、どこに住んでるんですか?」
「あ、アッパーイーストです」
「え、あの高級エリア?」
「うん。家賃は親が払ってます。1ベッドルームで…まあ、仕送りで」
「へえ…」
家賃4,000ドル。俺の3倍以上だ。
でも詩織はそれを自慢するでもなく、引け目を感じているようにも見えなかった。ただ事実を淡々と話しているだけ。
「今は何かしてるんですか? お仕事とか」
「夜、ちょっとだけ。日本人向けのバーみたいなところで」
それが『けらけら』だった。
「昼間は?」
「語学学校とか、家にいることが多いですね。最初は色々回ったけど、すぐに飽きて」
「どこ行ったんですか?」
「メトロポリタン美術館とか、ブロードウェイとか、ニューヨーク公共図書館とか。観光地っぽいところ」
彼女はカフェラテのカップに手を添えながら、淡々と答えた。
その姿を見て、ふと「俺と似てるな」と口にした瞬間、彼女の表情がわずかに曇ったように見えた。
何度か会い、2週間後には俺から「付き合おうよ」と言った。
彼女は「うん」と小さくうなずいたが、その声は少し遠くに感じた。
デートはいつも無料で行ける場所だった。
セントラルパーク、イーストリバー沿いの遊歩道、スタテン島フェリー、チェルシーのハイライン。どれも自転車で行けて、お金のかからないスポットばかり。
一度だけ無理して、タイムズスクエア近くのステーキハウスに行ったことがある。メニューを開けばまず価格に目が行く。安いサーロインステーキとグラスのビール。デザートは頼まない。
「お酒はあまり飲まないんだ」と言ったが、本当はワインの高さが頭に残っていた。詩織は気づいていたと思う。
YouTubeにも変化を加えた。
タイトルに「NYカップル生活」や「彼女との1日」と入れるようにした。
顔は映さず、後ろ姿や声だけ。でも『存在している感』は出す。
詩織は何も言わなかったが、ある日ふと「私、そんなふうに見えてるんだ」とだけ口にした。俺は笑ってごまかした。
詩織がなぜOKしてくれたのかは、今も分からない。
後で聞いたとき、彼女は「たぶん寂しかったんだと思う。画面越しに見たときは、ちょっと似てる気がした」と言った。
それは『好き』とは違う言葉だったが、俺は聞こえなかったふりをした。
俺はこれまで女性と付き合ったことがなく、どう接すればいいのか分からなかった。LINEの頻度もプレゼントも、全部中学生のような感覚だった。
服も、デート用に選んだつもりが浮いていた。帽子は中日ドラゴンズから別の無地キャップに替えてみたが、やはり似合わなかった。詩織は何も言わなかったが、その沈黙が逆に痛かった。
それでも、隣に彼女がいるだけで自分が『まとも』になった気がしていた。
たとえその幻が、長く続かないものでも。