6月の平日、ニューヨークの空はよく晴れ、真昼のセントラルパークには柔らかな光が降り注いでいた。
芝生には裸足の若者たちが寝転び、木陰にある石の上ては観光できているカップルがワインを飲み、大型犬を連れた老紳士がのんびりと散歩している。
その光景の中、俺はオーちゃんの隣に並んでベンチに座っていた。
「なんか、ニューヨークっぽいよね」
「…そうですか?」
あいまいな返事。
俺はこの瞬間を切り取りたくなり、スマホを取り出した。
「ちょっと、撮るよ」
オーちゃんはサングラスで半分顔を隠していたが、カメラを向けるとすっと手を上げ、顔を覆った。
「やめてください、写りたくないです」
その夜、動画編集をしていると、セントラルパークで俺が彼女にキスしようと近づくシーンがあった。
映像の中のオーちゃんは、はっきりと身を引き、真剣な声で「やめて」と言っていた。
肩に手を回したときも、まるで汚れたものに触れられたように払いのけていた。
それでも俺は、その場面を切り抜き、動画のラストにテキストを入れた。
「ちょっと照れ屋な彼女。でも本当は…♡」
自分でも寒いと思ったが、それが“恋愛中の俺”の演出だった。
ある日、少し背伸びをしてイーストビレッジのイタリアンレストランに連れて行った。
レンガ造りの外壁に赤いオーニング。Googleマップで星4.2の人気店だ。
ランチにしては高めで、パスタは一皿36ドル。税金とチップを含めると50ドル近くになる。
俺はメニューをめくるふりをしながら価格ばかりを見ていた。ドリンクは、以前ワインが高すぎて痛い目を見た記憶がよみがえり、ハイネケンのビールだけにした。
「お酒弱いからさ」と言い訳しながら。
オーちゃんは普通にパスタとレモネードを注文した。
「ここ、ちょっとおしゃれでしょ?」
「うん。普通に、いいお店ですね」
『普通に』という言葉が、妙に引っかかった。
帰り道、手をつなごうとしたが、彼女は自然な動きで避けた。
肩に手を回したときも、すぐに払いのけられた。
「…ほんとに、やめてください。みんなが見てるから。」
その声は穏やかだが、拒絶の温度ははっきりしていた。
それでも俺は、『愛されている風景』を作ろうとしていた。
YouTubeに「彼女とNYデート」動画を出すたびに、たとえ「いいね」が2件でも、自分には『見てくれている誰か』がいると信じ込もうとした。
けれど現実のオーちゃんは、画面の中でも現実でも、俺の『好き』に何も返してはいなかった。
付き合って1か月。
俺だけが恋人だと思っているのかもしれない、とふと頭をよぎった。
ある夜、彼女のアパートに招かれた。というより、無理やり押しかけたと言った方が正しい。おなかが痛いを理由に。
アッパーイーストの静かな通りにある、家賃4,000ドルの1ベッドルーム。
ホテルのような内装で、白いソファの上には毛布が整然とたたまれていた。
俺の住む部屋とは、あまりにも違っていた。
ソファで並んで座り、そっと手を握った。拒まれなかったことで気が緩み、そのままキスをしようとし、押し倒そうとした。
「…今日は、やめてください」
淡々とした声。怒りや悲しみではなく、ただ拒絶の線を引く声。
「ごめん」と言って引き下がったが、胸の奥にしこりは残った。
数日後、けらけらでのシフト終わりに彼女からメッセージが届いた。
今夜、ちょっと来てもらえませんか?
理由は聞かなかった。
オーちゃんは珍しくよく喋った。
けらけらで、日本人の出張客に違法就労を通報すると脅され、説教され、最後は「今夜だけでいいから500ドルで」と言われた。そんな一日だったらしい。
「なんかさ、何やっても空回りするよね」
「誰といても、結局さみしいんだと思う」
その夜、俺たちは初めて関係を持った。
でも彼女は人形のように目を閉じたまま、何も言わなかった。
数週間後、彼女は妊娠していた。
その事実を知らされるのはもう少し先になるが、あの夜の俺はすべてがうまくいったと信じていた。
別の日、日本人が集まるロウアーイーストの安い居酒屋に二人で行った。
木のカウンターに提灯の明かり、店内では日本語が飛び交っていた。
その夜のオーちゃんは、なぜか明るく、他の男性とも笑いながら話していた。
俺はグラスを握りしめた。
「俺の彼女なのに」─そう思いながらも、何も言えず、ただ笑っていた。