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第12章 ニューヨークの謙一

夏の終わりのマンハッタン。
アスファルトは一日中熱をため込み、夕方になっても湿気を帯びた熱気が足元から立ち上がってくる。
日差しはまだ強いが、夜風にはわずかに秋の気配が混ざっていた。

俺は今日も自転車をこいでいる。最近自転車に自撮り棒を固定した。
背中にはUberの緑のバッグ、スマホにはDoorDashの通知。
信号待ちでふと顔を上げると、59丁目の空に月がぼんやり浮かび、その向こうにクイーンズボロ・ブリッジの鉄骨が夕陽に染まっていた。

オーちゃんは、もう連絡してこない。
俺も連絡はしていないが、頭のどこかではいつも彼女のことを考えている。

YouTubeに投稿した最後の「二人動画」は、昔の切り貼りだ。
その素材も尽きて、今は一人で撮った映像ばかり。
ゲーム実況、酒を飲みながらの独り語り、配達の合間に撮った街角。

「最近は一人の時間が多くて、でも、それも悪くないっすよね」

動画の再生数は85。
コメントはない。
「いいね」は俺のサブアカウントからの1つだけ。

ときどき、自分の動画を見返す。
オーちゃんが笑っていたシーンで、無意識に口元がゆるむ。

「…やっぱ可愛かったな」

eBayで売ったゲームソフトは60ドルにもならなかった。
昼はDoorDash、夜はUber。
マンハッタンの坂を登って汗をかき、アパートに帰ってシャワーを浴び、編集して誰も見ない動画をアップする。

グリーンカードは今も財布の奥にしまっている。
取り出しては眺め、「俺、アメリカに来て正解だったよな?」と誰にともなくつぶやく。

青いキャップをかぶり直し、カメラをセットする。
画面に映る自分は、少しだけ日焼けして、でも表情はどこか疲れていた。

「お給金欲しいので、チャンネル登録、いいねお願いします!」

その言葉だけが、今の俺の『社会とのつながり』だった。

配達の帰り、セントラルパークを横切る。
芝生では観光客が寝転び、噴水の周りでは子どもが水遊びをしている。
西の空がオレンジから群青に変わる中、俺はスマホを取り出してカメラを起動した。

「#ニューヨークの謙一」

そのキャプションとともに、今の自分を投稿する。
見てくれる人が一人でもいれば、それでいい。そう自分に言い聞かせながら、ペダルを踏み込んだ。

(続きはこちら)あとがき:ニューヨークの謙一