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第2章 ハネムーンの続き

「ここ、絶対に写真だけじゃなくて動画も撮っとこうよ」

タイムズスクエアの真ん中で、私は雄大に自撮り棒を差し出した。

 観光客がひしめく人混みの中、ぎこちない笑顔でカメラを構える彼に、小さな声で合図する。

「じゃあ、いくよ。3、2、1」

二人で両手の指を合わせて、ハートを作る。いつものオープニングの儀式。

『キラキラカップルでーす!皆さんよろしくねー♡』

私たちは毎回この『儀式』から動画を始める。初回の動画で「可愛すぎる!」「理想の夫婦」とコメントされたのが忘れられなくて、今では定番になった。

「ちょっと手がズレてるよ。もう一回やろ?」

「え、また…?いいけど…」

雄大の声に、わずかな疲れがにじむ。でも私は気づかないふりをして、もう一度カウントを始める。

第2弾の動画は、タイトルもサムネも『どストレートなキラキラ系』。王道の映え狙い。

【NY生活Vlog】タイムズスクエアと5番街♡カフェ巡りとブランドショップで幸せ時間!

光あふれる広場、5番街のショーウィンドウ、そして話題のカフェ。

ショーウィンドウを見ては「きゃー♡」とリアクション。編集では、明るさと彩度をほんの少しだけ上げて、『キラキラの空気感』を足す。それだけで現実は別物になった。『リアルだけどちょっと理想』な日常に仕上げ、動画の冒頭、手をハートにして言う。

『キラキラカップルでーす♡皆さん、今日も見てくれてありがとう〜』

5番街では、CHANELやPRADA、Tiffanyの前で何枚も写真を撮った。動画用には、ディスプレイの前で「きゃー♡」とリアクションを入れる。中に入ったのはGUCCI。バッグが目に入ったけれど、価格を見てそっと元に戻した。

$3,800。日本円で50万円を超える。本音では「無理」だった。でも投稿ではこう書いた。

『あまり欲しいものがなかったので、今回は見るだけにしました♡また、新作がでたらまた来ますね♡』

実際には、小物のキーケースをひとつ買った。$280。

それでもかなり痛い出費だけど、「買ったという実績」が大事だった。再生数のために。

週末は、キーンステーキハウス(Keens Steakhouse)へ行くことにした。NYらしい老舗のステーキハウスで、店内には歴史を感じる写真や、著名人のサイン、そして無数のパイプが天井から吊るされていた。どれも絵になる場所だった。

「ここ、ほんとに名店って感じ。動画撮ってもいいよね?」

「大丈夫だと思うけど…目立たないようにね」

そう言われて、私はバッグをそっと膝の上に置いた。今日の服装は、日本から持ってきたお気に入りのワンピース。 SNS用に、ブランドのバッグと指輪、そして小ぶりのイヤリングを合わせた。 やりすぎないよう、でも『わかる人にはわかる』バランスで。

テーブルに座って、まずはワインを頼んだ。

そして、名物の「プライムポーターハウスステーキ」が運ばれてくると、私は動画の録画を開始した。

「見てください!このボリュームと香り♡」

カメラを構える雄大に向かって、ウインクをひとつ送る。デザートはチーズケーキとコーヒー。


レシートの合計は$290。さりげなくもしっかりと画面に映しておいた。

「ちょっと贅沢しすぎちゃいました…♡」

そう言った自分の声を編集で聞き直したとき、ふと胸の奥がざらっとした。高すぎたのは、きっと値段だけじゃない。

第3弾の動画のサムネは、少し趣向を変えてみた。

【NY生活しんどい】物価高すぎ&においきつい街!?リアルな本音トークします

でも、動画の中身はただの雑談。タイムズスクエアの地下鉄のにおいが合わないとか、Whole Foodsで卵が$9だったとか、そんな『たわいもない愚痴』を、ゆるく夫婦で話しているだけ。もちろん、動画の最後にはまた手をハートにして、いつもの決まり文句で締める。

『キラキラカップルでした〜!今日も見てくれてありがとー♡』

見ている人は気づいてるかもしれない。「無理」と言いつつ、それすら『ネタ』にしていることを。 でも私は気づいていないふりをして、次の編集作業に取りかかった。

夜。 ベッドの上で動画を見返していた。

「ねぇ、この『ニューヨーク生活、満喫中』って感じ、出てるかな?」

「うん、出てると思うよ。……俺の顔、モザイク忘れないでね」

「わかってるって」

モザイクで隠したはずの夫の横顔が、一瞬だけ『素の表情』になっているのを私は見逃さなかった。 でも、それも切り取って編集すれば『幸せな夫婦』に見える。

SNSって、便利だ。

「この生活、ずっと続けばいいのに」

そう呟いて、またスマホを開いた。次はどこで、何を撮ろうか。どんなふうに『魅せようか』。

日常は、レンズの向こうにしか存在しなくなっていた。

(続きはこちら)第3回 駐妻会という戦場