「昨日の投稿、ちょっと伸び悪いな……」
ベッドの上でスマホを見つめながらつぶやくと、隣にいた雄大が小さく笑った。
「十分すごいと思うけどね。『いいね』200件くらい、ついてるんでしょ?」
「うん。でも、前回の『セントラルパークの朝』は350件だったから」
「……それって、比べるものなの?」
雄大のその言葉に、小さくため息が漏れた。
わかってる。自分でも、少しおかしくなってるって思う。
でも今の私は、数字でしか自分の存在を測れない。
投稿してからの30分が勝負。
いいねの数、保存数、コメント数、リーチ数。すべてをリアルタイムで見て、心が上下する。
特にコメントの返信は、気を遣う。
「可愛いですね♡」には、「ありがとうございます♡NYの風を感じてます〜」
「憧れます♡」には、「日々大変だけど、こうして言ってもらえると励みになります!」
テンプレっぽくならないように。でも、重くなりすぎないように。
『いけてる返し』をするのに、頭を使いすぎて、指先がじんわり汗ばむ。
なのに、駐妻会で出会った『仲間』たちは、私の投稿にほとんど反応を見せない。いいねも、コメントもない。
まるで、私の存在ごとミュートされているみたいだった。
代わりに、他のNY在住インスタグラマーやYouTuberの投稿を執拗にチェックするようになった。
どこに行っているか、何を着ているか、どういう言葉で『映え』を作ってるか。
タグの順番や改行の仕方、投稿時間まで。
本当は『よくない』って思ってるのに、必死にいいねを押す。
無言でアピールして、フォローバックを狙う。
誰よりも早く、誰よりも多く。
SNSの世界では、「気づかせること」が存在証明だった。
新しいカフェがオープンしたと聞けば、即、向かう。
マンハッタン中の話題のスポットを、誰よりも先に、誰よりも『それっぽく』訪れる。
「新店舗OPEN♡さっそく行ってきました!」
「今週の新作ドリンク。映えるし美味しいし、神♡」
でもその裏では、寒空のテラス席で冷えたドリンクを手に震えていた。
編集スキルも上達していた。
Canva、VLLO、CapCut。動画編集、色調補正、サムネイル作成、ナレーション挿入。
まるでフリーランスの動画クリエイター。
でも、その進化の先に『誰もいない』気がしていた。
料理動画も始めた。
「今日の夜ごはん♡」
「NYで作る、日本の家庭の味」
……と言いながら、実際の夕食は冷凍うどんと残り物。
でも、写すのは演出されたメニューだけ。
照明を調整し、角度を工夫し、『生活感のある美しさ』をつくる。
動画ではにこやかに盛り付けしている自分。
その数分後、ソファに崩れ落ちて、深いため息をついていた。
ふと、日本にいた頃の自分を思い出す。
あの頃もインスタはやっていたけれど、フォロワーは少なくて、
顔出しもして、メイクも適当で、タグすらつけてなかった。
ただ、友達に「これ楽しかったよ」って見せたくて投稿していた。
海に行った日、ラーメン食べた日、サークルの飲み会。
心から笑ってるだけの写真。
コメント欄には、
「化粧濃いって」
「髪切った方がよくない?」
「お前、また太った?」
なんて、遠慮のない言葉が並んでいたけど、それが不思議と心地よかった。本当に心配してくれる友達は、SNSじゃなくて電話をくれた。
泣いてたら、黙って通話をつないでくれた。
「優香が変な方向に行かないか、心配なんだよ」
あの頃は、演じなくてもいい場所があった。
今は……どこにもない。
夜。雄大がキッチンで食器を洗いながら言った。
「昼間、電話したけど出なかったよ」
「編集してた。通知オフにしてた」
「……俺以外の通知は全部ONなのにね」
その声は、静かだけどトゲがあった。
何も言い返せなかった。
今の私は、『雄大の妻』じゃなくて、『キラキラカップルの片割れ』としてしか存在していないのかもしれない。
その夜、投稿したのは動画ではなく、1枚の写真だった。
照明を落とした寝室で、キャンドルの灯りの中、グラスを持つ自分の横顔。
【Evening Glow】
忙しい日々の中でも、自分を忘れないように。
#NYライフ #夜のリセット時間 #心と向き合う瞬間
でも実際は、心と向き合う余裕なんてどこにもなかった。
画面を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「……SNS病って、本当にあるんだね」
そしてまた、誰かに『見せる』ための自分を作り始めた。