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第6章 あの子は消えた

その人のアカウントが消えたのは、本当に突然だった。

朝食を撮ってストーリーを上げたあと、いつものように『チェック対象』のアカウントを順番に見ていた。その中のひとつ、「mariko_in_nyc」にアクセスしようとしたとき、画面に表示されたのは冷たいシステムメッセージ。

「このページは存在しません」

え?

思わず指で何度もタップし直したけれど、結果は同じ。

あの、marikoさんのアカウントが、丸ごと消えていた。

彼女は、顔出しをしない。ブランドロゴも出さない。
でも、朝の光が差すキッチン、読みかけの洋書、図書館の階段に腰かけた後ろ姿——
そんな『等身大のニューヨーク』を、静かに切り取る投稿を続けていた。

私は、その飾らない感じが、どこか羨ましかった。

「いいな、こういう自然体って、信頼されるよね」

でも、内心ではこうも思っていた。

「私は、あれじゃ戦えない」

最後の投稿は3日前。

『なんか、最近ずっとつかれてるな。。。』

写真は、湯気の立つマグカップと、曇った窓ガラス。

それだけだった。

私は、その投稿に「いいね」もコメントもできなかった。
でも、何かがおかしいとは、気づいていた。

その一文に、どこか「終わりの気配」が漂っていたことに。

それ以来、彼女は消えた。

フォロワーの誰も、そのことに触れなかった。
まるで最初から、そんな人はいなかったかのように。

でも私は知っている。

あんな『自然体の発信者』ですら、疲れ果ててしまう世界なんだ。

まして、私は——背伸びして、盛って、笑顔を演じて。
いつか、私も同じように、ふっと消えてしまうのかもしれない。

そんな未来が、不意に脳裏をかすめた。

YouTubeを開くと、「元駐妻」のチャンネルがいくつか表示された。

「帰国後のリアルな1日」
「日本の電車、久しぶりに乗ってみた」

最初こそ再生されているけれど、徐々に数字は落ちていく。

私は、それを見ていた。

「駐在生活」という舞台が終わった瞬間、光が一気に消えていくこと。

フォロワーは、優香という『人間』には興味がない。彼らが見たいのは、『駐在』というコンテンツだけ。

そして気づく。

あの人たちは、演じていたのではなく、たしかに『本当の自分』を見せていたのかもしれない。

でも、それでも続けられなかった。きっと、無理だったんだ。あまりにも、消耗するから。

その日の午後、私は動画の編集をしていた。

テーマは「今、NYで話題の新店舗3選」。

ダウンタウンの 『I’m Donuts』、
イーストヴィレッジの新しいベーカリー、
そして、最近オープンした抹茶カフェ。

どれも、かつてはSNSで話題になり、長蛇の列ができていた。でも今は、人もまばらで、観光客すら素通りしていく。

『映え』の寿命は短い。

それが、まるで自分の未来のように思えた。

編集が終わり、ふとストーリーの下書き画面を開いた。

「最近ちょっと、疲れてるかもしれない」

そう打ち込んだ指が、一瞬止まる。

投稿、しようか。どうしようか。でも思ってしまう。

「また、インプレッション稼ぎって思われるかも」

以前、「NYつらい」「無理かも」と投稿したことがあった。あれは半分本音、半分は『演出』だった。

「弱音もブランドになる」——そう信じていた。

でも今は、違う。

『本当にしんどい』ときこそ、発信できなくなる。

投稿はせず、画面を閉じた。

その夜、日本にいる親友からLINEが届いた。

《最近、大丈夫?YouTubeも見てるけど、ちょっと顔が疲れてる気がして》

彼女は、高校時代からの友達。

大学は別だったけど、ずっと『本音』で話せる相手だった。

「またメイク濃くなってるよ、優香」
「痩せすぎじゃない?」
「……ていうか、ちゃんと食べてる?」

SNSでは絶対に言われない言葉。

でも、私の『内側』を、彼女はすぐ見抜く。

電話をかけると、開口一番、彼女が言った。

「無理してるの、声でわかるよ。優香が、こんなに『誰かに認められたい』って思うようになるなんて、高校のときのあんたからは想像もつかない」

私は、何も言えなかった。

胸の奥が、ぎゅっとなって、声が出なかった。

そして、彼女が静かに言った。

「ねぇ、もしあんたがいなくなったら、誰が泣くと思う?」

その一言が、鋭く、深く、胸に刺さった。

通話を切ったあと、ストーリーの下書きを開いた。

「NY生活、楽しいことばかりじゃない。
でも、少しずつ見つけていきたいと思う」

その言葉を、投稿せず、保存だけして閉じた。

画面の中では、いまだに笑顔の私に『いいね』がついている。

でも、そのどれもが、本当の私ではなかった。

marikoさんも、 『元駐妻』の彼女たちも、

最初は、たしかに『本当の自分』を見せていたんだと思う。

でも、続けられなかった。

そういう場所なんだ。

そして私は——まだ、舞台の上にいる。

終わりを知りながら、それでも笑っている。

(続きはこちら)第7章 わたし、誰のために生きてる?