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第7章 わたし、誰のために生きてる?

「ごめん、もうこれ以上協力できないわ」

その一言で、カメラの向こうにあった世界が、すっと音を失った。

土曜の朝。私は雄大を誘って、いつものようにセントラルパークへ向かった。

「今日、日本人の人たちがラジオ体操してるはずなの。あれ、動画に入れたら面白いと思って」

「……優香、それ、撮る必要ある?」

「あるよ。『NYで日本人がラジオ体操』って、ウケるに決まってる」

でも、雄大は私の方を見ようとしなかった。

「俺、もう限界。これ、全部『動画のため』になってるよね」

「違うよ。記録だよ。思い出として残したいの」

「……最初は、そうだったかもしれない。でも今は、『伸びるかどうか』しか見てないじゃん」

図星だった。

でも、反射的に反論した。

「せっかくやるなら、見てもらいたいじゃん……!」

「それで、『見せるための思い出』になったら、本末転倒だろ」

その声は、怒っていたわけじゃない。ただ、深く、疲れていた。

YouTubeを始めた頃、私たちはふざけながら「キラキラカップル」と名乗った。
広告収益なんて数ドル。ただ、ふたりの『記録』として残したかっただけ。

でも今は、『伸びるネタ』ばかり探してる。

本来の目的なんて、どこかに置き忘れていた。

帰宅後、ベッドに倒れ込みながらカメラロールを眺める。

芝生の上でラジオ体操をする人たち、犬の散歩、ランナー、マンハッタンのビル群。

どれも『絵になる』景色だった。

でも、そのどれにも、私自身は映っていない。

「……私、今、何してるんだろう」

呟きながら、編集ソフトを開く。

今日の動画の仮タイトルは

【休日Vlog】セントラルパークで見つけた日本の風景♡

きっと再生はされる。 明るいサムネイルに、人気の音楽を重ねれば、反応も取れる。

でも、再生ボタンを押す手が止まった。

ストーリーの下書きに、そっとこう打ち込む。

「最近、ちょっとしんどいです」

でも、投稿はできなかった。

「またインプレッション狙いって思われるかも」
「ネガティブ投稿は数字が落ちる」
「じゃあやめれば?って言われるだけ」

そんな声が、自分の中から聞こえてきた。

結局、その一文は『下書き保存』のまま、画面を閉じた。

その夜。高校時代からの親友からLINEが届いた。

《今、時間ある?声、聞きたい》

通話ボタンを押すと、彼女は開口一番こう言った。

「優香、あんた、最近『自分』がいないよ」

「……見てた?」

「うん。全部見てた。YouTubeも、インスタも。すごいと思うよ。でも、あれ、あんたじゃないって思った」

彼女は、どんなときも本音で話してくれる、私にとって唯一の『安全地帯』だった。

「なんでそんなに、演じてんの?」

「……だって、みんな、そうしてるから」

「みんなって、誰?」

その言葉が、胸に刺さった。

「もし優香が急にアカウント消しても、私は電話するよ。
『どうしたの』じゃなくて、『今どこにいる?』って」

私は、笑いながら、泣いていた。

「……そんなの、SNSには載せられないよ」

「だからでしょ。載せられないものの方が、大事に決まってるじゃん」

スマホ越しでも、彼女のまっすぐな目が、まるで目の前にあるようだった。

「覚えてる? 高校のとき、すっぴんで変顔してたよね。
カラオケで変な曲入れて、変な踊りして、みんなで爆笑して。
あのときの優香、最高に可愛かったよ」

私は、何も言えず、ただ、静かに涙を流した。

「ありがとう……ほんとに、ありがとう」

通話を切ったあと、スマホを机に置く。

リビングには、ライトアップされたインテリア。
朝に飲みかけたシャンパンのボトル。

どれも、演出された生活の名残。

なのに、手は無意識にスマホを持ち上げていた。

画面に映った自分が、ふと問いかけてきた。

「……私、誰のために生きてるんだろう」

その問いには、まだ、答えがなかった。

ストーリー画面を開いて、そっと閉じた。

(続きはこちら)第7.5章 カメラの向こうの僕たち