「ごめん、もうこれ以上協力できないわ」
その一言で、カメラの向こうにあった世界が、すっと音を失った。
土曜の朝。私は雄大を誘って、いつものようにセントラルパークへ向かった。
「今日、日本人の人たちがラジオ体操してるはずなの。あれ、動画に入れたら面白いと思って」
「……優香、それ、撮る必要ある?」
「あるよ。『NYで日本人がラジオ体操』って、ウケるに決まってる」
でも、雄大は私の方を見ようとしなかった。
「俺、もう限界。これ、全部『動画のため』になってるよね」
「違うよ。記録だよ。思い出として残したいの」
「……最初は、そうだったかもしれない。でも今は、『伸びるかどうか』しか見てないじゃん」
図星だった。
でも、反射的に反論した。
「せっかくやるなら、見てもらいたいじゃん……!」
「それで、『見せるための思い出』になったら、本末転倒だろ」
その声は、怒っていたわけじゃない。ただ、深く、疲れていた。
YouTubeを始めた頃、私たちはふざけながら「キラキラカップル」と名乗った。
広告収益なんて数ドル。ただ、ふたりの『記録』として残したかっただけ。
でも今は、『伸びるネタ』ばかり探してる。
本来の目的なんて、どこかに置き忘れていた。
帰宅後、ベッドに倒れ込みながらカメラロールを眺める。
芝生の上でラジオ体操をする人たち、犬の散歩、ランナー、マンハッタンのビル群。
どれも『絵になる』景色だった。
でも、そのどれにも、私自身は映っていない。
「……私、今、何してるんだろう」
呟きながら、編集ソフトを開く。
今日の動画の仮タイトルは
【休日Vlog】セントラルパークで見つけた日本の風景♡
きっと再生はされる。 明るいサムネイルに、人気の音楽を重ねれば、反応も取れる。
でも、再生ボタンを押す手が止まった。
ストーリーの下書きに、そっとこう打ち込む。
「最近、ちょっとしんどいです」
でも、投稿はできなかった。
「またインプレッション狙いって思われるかも」
「ネガティブ投稿は数字が落ちる」
「じゃあやめれば?って言われるだけ」
そんな声が、自分の中から聞こえてきた。
結局、その一文は『下書き保存』のまま、画面を閉じた。
その夜。高校時代からの親友からLINEが届いた。
《今、時間ある?声、聞きたい》
通話ボタンを押すと、彼女は開口一番こう言った。
「優香、あんた、最近『自分』がいないよ」
「……見てた?」
「うん。全部見てた。YouTubeも、インスタも。すごいと思うよ。でも、あれ、あんたじゃないって思った」
彼女は、どんなときも本音で話してくれる、私にとって唯一の『安全地帯』だった。
「なんでそんなに、演じてんの?」
「……だって、みんな、そうしてるから」
「みんなって、誰?」
その言葉が、胸に刺さった。
「もし優香が急にアカウント消しても、私は電話するよ。
『どうしたの』じゃなくて、『今どこにいる?』って」
私は、笑いながら、泣いていた。
「……そんなの、SNSには載せられないよ」
「だからでしょ。載せられないものの方が、大事に決まってるじゃん」
スマホ越しでも、彼女のまっすぐな目が、まるで目の前にあるようだった。
「覚えてる? 高校のとき、すっぴんで変顔してたよね。
カラオケで変な曲入れて、変な踊りして、みんなで爆笑して。
あのときの優香、最高に可愛かったよ」
私は、何も言えず、ただ、静かに涙を流した。
「ありがとう……ほんとに、ありがとう」
通話を切ったあと、スマホを机に置く。
リビングには、ライトアップされたインテリア。
朝に飲みかけたシャンパンのボトル。
どれも、演出された生活の名残。
なのに、手は無意識にスマホを持ち上げていた。
画面に映った自分が、ふと問いかけてきた。
「……私、誰のために生きてるんだろう」
その問いには、まだ、答えがなかった。
ストーリー画面を開いて、そっと閉じた。