この街の喧騒も、においも、雰囲気も、なにも変わらない。
クラクションの音、地下鉄のすえた空気、路上にこぼれた油のにおい。
ニューヨークは、いつも通りの顔をしていた。
変わったのは——私のほうだった。
朝、Trader Joe’sで買っておいた味噌と冷凍ごはんで、味噌汁とおにぎりを作る。
具は、ワカメとネギ。おにぎりは、梅干しと鮭。
地味で、茶色くて、映えない朝ごはん。
でも、ひとくち食べるたびに、身体がゆっくりほぐれていくのを感じた。
最近は、Whole Foodsに行かなくなった。
以前は、カラフルな野菜や高級チーズを並べて、SNS用の『暮らし』を演出していた。
洗剤やコットンまで、デザイン重視で買っていた。
でも今は、豆腐も冷凍枝豆も、Trader Joe’s。
日用品はAmazonで無地の箱に届く。
「誰にも見せない生活には、見た目なんていらないんだ」
そう思えるようになっていた。
洗濯物のにおいが、ふと部屋に広がる。
昨日干したバスタオルが、少しだけ湿っていて、
その微かな残り香が、なぜか心を落ち着かせた。
昼すぎ、ふと窓の外を見ると、雨上がりの空に、虹がかかっていた。
「写真……撮らなきゃ」
反射的にスマホに手を伸ばしかけて、やめた。
目に焼きつける。シャッターじゃなくて、まぶたで切り取る。
「誰かに見せなくても、私が覚えていれば、それでいい」
心の中でそうつぶやいた。
最近、雄大との会話が増えてきた。
「同僚が言ってたんだけど、うちの支店、閉まるかもなんだって」
「えっ、マジ? ……でも、それっていつも出る噂じゃない?」
「まあね。でも次どこ行くんだろうなって、ちょっと考えちゃって」
「……もう、駐在、増やさないでほしいね」
「ほんと、それな」
会話らしい会話を、久しぶりにしていた。
以前は『報告』だった。
今は、会話になっている。
内容なんて、なんでもいい。
ニュースでも、スーパーの特売でも、天気でも。
言葉が自然に往復しているだけで、それがもう、幸せだった。
晩ごはんも、最近はちゃんと作っている。
煮物と冷奴。ごはんと味噌汁。
数ヶ月前の私なら、きっと「地味すぎる」「映えない」って言ってたと思う。
でも今は、『ちゃんと食べられる』ことが、ありがたい。
最後まで残さず、黙って味わって食べる時間が、好きになっていた。
—
雄大もよく食べるようになった。
「この味噌汁、うまい。……だし、変えた?」
「うん。昆布、足してみたの」
そんな、何気ない会話が、いちばん大切に思える日が来るなんて、半年前の私には想像もできなかった。
夜、ベランダに出ると、
街の灯りがビルの窓をゆらゆら揺らしていた。
そのすき間に、小さな星が一つ、ひっそり光っていた。
写真ではきっと撮れない。映えないし、誰にも伝わらない。
でも、それが今の私にとって、何よりの宝物だった。
もちろん、『戻りたくなる瞬間』はまだある。
寝る前、ふとスマホを開いてしまう。昔の動画の再生数や、コメントをついチェックしてしまう。
未公開のまま保存された動画たち。
今アップすれば、「戻ってきた!」って言われるかもしれない。
「今なら、まだ注目されるかも」
そんなささやきが、頭のすみで声を出す。
でも、画面を閉じた。
そして思った。
「……私、もう『見られるために生きる』のはやめたい」
この街の喧騒も、においも、風も、建物も、何も変わっていない。
でも、私は変わった。
映えじゃない生活。
なにもない一日。
派手さも、数字も、承認もいらない時間。
でもそれが、いちばん『私らしい』と思える。
それが今の、私の贅沢。